鬱屈して自分を守っていた私

思えば僕は家庭環境や学校環境になじめなかったり色々あったりしました。

そうすると、ショボーンとしていると優しい誰かが声をかけてくれることもありました。

ただ、年を追うにつれそういう優しい方はいなくなりますし、そうしていく内に、鬱屈していることで自分を守るというやり方がいつの間にか自分の常とう手段になっていました。

そうすると、構ってくれない!といい歳こいて思って周りの方々(恐らくは正当な手段で幸せな)を妬んだりしていく内に性格が少しづつねじ曲がっていくのを感じていました。

このままじゃいかんと思って、色々行動や作業や仕事や家事をしていく内に、少しずつ性格が直っていくのを感じつつ、一番大切な気づいたことは「やっぱりかわいがってほしいんだな」「甘えたいんだな」「楽しく明るく幸せに生きていきたいんだな」と本心に気づいてしまったことです。

気づいてからはそうとう苦しかったです。そんな単純で正当な甘えを他人様に出せず、どれだけの失敗をしたのだろうかと。

まあ、それに構っていても仕方がないので、思い出してはため息をついたり頭の中でうわっーとなったりをしながら、日々の作業を続けていくと、少しずつ人に甘えられる(冗談めかして相手を気づつけず)ようになりました。

本当は簡単な一本道をくねくね横道に入り続けていたなと思い返すことがたまにあります。

9月7日の日記

6時ころ目が覚めました。個人の用事で朝一で銀行に行きたかったので、とりあえず出社。

一番乗りは少し気持ちがいい。

細々としていたことをしていたら、銀行に行く時間になる、

用事は積み立て預金を作ることです。

後付けでいえば老後の為とか何とでも言えますが、本当は入ってくると使いたくてしょうがないので、除けておいてもらいたくて積立預金を作りました。

そして仕事と並行して細かい自分のお金のことをやりました。

仕事もひと段落して、また片付けなどをしようと思いましたが、気分が乗らないので、仕事机の周りを4か所から写真を撮り帰宅して考えることにした。

あらかた今日の仕事は片付いて、帰宅。

最近は、頑張らなくていいし嫌なことされても怒る必要もないと身に染みて分かっているので、ビクビクしにくくなり以前より帰宅が楽になった。

帰りにドラッグストアでポテチを買った。

このドラッグストアは、コロナの前からレジの若い女性が毎回お釣りを落とすように渡してくるので、触るのも嫌なんだろうなとこちらも手を下げながら受け取っていたが、ある日若干腹が立ってこちらの手を落とすスピードを少しはやめたら、小銭が落ちて、自分の怒りの感情のみっともなさに恥ずかしいあまり、足が遠のいていましたが、湖池屋のポテチを安くそろえていてくれるので、最近はたまにまた行くようになった。

さて、今日は晩御飯は有り物でいいので、タバコを突っ込んでいる段ボール箱を整理しよう。

口は開いているがほとんど手つかずのタバコを捨てるか取っておくかが悩むところです。