9月7日の日記

6時ころ目が覚めました。個人の用事で朝一で銀行に行きたかったので、とりあえず出社。

一番乗りは少し気持ちがいい。

細々としていたことをしていたら、銀行に行く時間になる、

用事は積み立て預金を作ることです。

後付けでいえば老後の為とか何とでも言えますが、本当は入ってくると使いたくてしょうがないので、除けておいてもらいたくて積立預金を作りました。

そして仕事と並行して細かい自分のお金のことをやりました。

仕事もひと段落して、また片付けなどをしようと思いましたが、気分が乗らないので、仕事机の周りを4か所から写真を撮り帰宅して考えることにした。

あらかた今日の仕事は片付いて、帰宅。

最近は、頑張らなくていいし嫌なことされても怒る必要もないと身に染みて分かっているので、ビクビクしにくくなり以前より帰宅が楽になった。

帰りにドラッグストアでポテチを買った。

このドラッグストアは、コロナの前からレジの若い女性が毎回お釣りを落とすように渡してくるので、触るのも嫌なんだろうなとこちらも手を下げながら受け取っていたが、ある日若干腹が立ってこちらの手を落とすスピードを少しはやめたら、小銭が落ちて、自分の怒りの感情のみっともなさに恥ずかしいあまり、足が遠のいていましたが、湖池屋のポテチを安くそろえていてくれるので、最近はたまにまた行くようになった。

さて、今日は晩御飯は有り物でいいので、タバコを突っ込んでいる段ボール箱を整理しよう。

口は開いているがほとんど手つかずのタバコを捨てるか取っておくかが悩むところです。

9月6日の日記

起きて、何となく前回のブログを書きました。

とりあえず洗濯機を回して、ちょっと近くの街まで出ましたが、居場所がない。

パチ屋にいても、当たらない限りは、機械は1分で100発打ち出すけど、長いリーチとかは打ち出しを止めるので、結局、1時間当たらないと1万円ちょい使ってしまうことになります。

ユニクロで同じ柄の黒ロングソックスを買いそろえる。これで、洗濯の後に靴下を揃えるのが楽になりそうです。

帰って冷蔵庫の整理。

調味料・飲み物・食材・作り置きの料理でキレイにまとめたいが、なかなかうまくはまらない。とりあえず余計なモノとか期限がきたモノとかを捨てました。

白い洗濯物を漂白して乾かす。

最近、色々と過去のどうでもいいモノから大切なモノなどを捨てたり売ったりしてますが、手元からなくなると、もうその物を「どうしよう」とか、関連した過去の問答が消えてくれるので、最初は少し寂しいけど後がとても楽です。

基本的に頑張らない方向で

朝起きて、ボッーとしています。

何だろう、この常に頑張らないといけないという軽い強迫的な感じは、といつも感じていました。

思い返すと、小中の受験で、やりたくもなかったんですが毎日勉強づけで、いつの間にか「成績がよくなくてはいけない」と自分でその環境に適応するように認知を歪めたり、「20歳になったら真面目になります」という言葉があった気がするんですが、結局は安全なところで悪い事をする人が人生上手くいっていた(僕の主観で見ただけですが)ため、僕は真面目に道徳的に生きるしか、自分を肯定する支えがないような状況で、認知を歪めたりと。

そうやって、結局は人の視線と評価にうろたえていたんだなと思います。

そうして、自分なりの「こうあるべき」「これが正しい」で自分を守りながらも窮屈にしていました。

それが、何か常に焦燥感と言うか強迫的な感じになっていたんだと思います。

9月5日の日記

起きたけど、土曜日だから二度寝しようと再び寝る。

結局出勤するための時間には起きて、会社に行く。

休みの日に一人でいても少し食器を整理したり、書類を見たり、大してやることがない。

しかし家に帰っても暇なので、行ける場所を書きだすと、個室ビデオかパチンコ屋かカラオケ屋。

結局パチ屋へ行ったがスグする。

仕方がないから、食材を買って、帰って作り置き。

六時から少し用事が入るので、空いた時間で今日も個人のお金の表を書く。昨日とほぼ変化なし。

正直、部屋の中を見渡しても使ってないモノばかりだ。

しばらく使ってないモノで必要のないモノは捨てると漠然と決めてみました。

学生の頃は自分の部屋の足の踏み場がなく、足を変にくねらせて寝床まで行ってましたが、今は床でゴロゴロできる程度にはスカスカだ。

六時になりZOOMで打ち合わせ。30分くらいで済む。

晩御飯も食べてまた暇になる。

そうだ、焼酎の見ながら、マンションを買う資金計画を練るごっこでもして、大好きなガケッぱちか内村さまぁ~ずでも見よう。

9月4日の日記

風邪の調子は何とかごまかせそうだ。起きて会社へ行く前に携帯電話の機種変をする。

色々追加サービスの契約を盛り込まないか聞かれるが、相対するお店の方も上からの指示だろうから、手短にお断りだけした。

会社に行くと、さっさと済まそうとしたけど郵便物やら書類の処理やら雑事が一日で貯まっていました。

面倒くさいと思うよりやった方が早いので、体だけ動かしてすぐ済ます。

同時に携帯は初期設定やアプリのダウンロードなどをやる。

必要のないアプリもあって消すけど、これをプリインストールすることで誰かがご飯を食べられているんだとしたら、こちらの多少の手間は仕方ないと思う。

必要なことをこなして仕事を取りあえず済ます。

帰宅途中、家に帰りたくなったので、遠回りして帰宅。

家計簿つけたり細かいことをする。

一通り要らないものを捨ててしまったので、やる家事が減りました。

とりあえず、明日は洗濯機回してから少し出勤しよう。

うなされていると

うなされていると自分が過去と現在進行形でしている悪い事ばかり思い出します。

あの時ひどいことをしてしまった、とか、怒りに狂っていたことばかりで、しかし、それが過去にいじめやらからの学習みたいなもので、止まらない流れの様です。

しかし、最近は年のせいもありますが、怒っても立ち止まれる場合もあるようになってきました。

第一、怒るのも基本的は内部的なもので、何かを見てはイライラするの連続です。

若い人の声を聴くだけで体も怯えますし、パチンコに行くと、おしゃれとヤンキーの間くらいの人たちがアニメの台を打っていると、全然その方と関連性はないのはわかっていても「吐いたつば飲むなよ。アニメはキモいんだろ。」とか思ってしまいます。

他にも僕が十代の頃はパソコンを持っているというのが嘲笑の対象でもありました(無論、その個人個人で違うでしょうが)。

でも今、小さなパソコンみたいなスマホを四六時中見ている方ばかりで、スマホを見て前を見てない人を避けても少し避けきれなかったら、睨み付けられることもあり、苦虫を噛み潰したような気持ちになることもあります。

しかし、そんな時に思い浮かぶのが、とある街で朝からずっと不平不満を毎日叫んでいた人です。

自分もあんまりそんな考えばかりだといつかあの時のあの人のようになってしまうことを考えると、グッとこらえるのが修養の第一歩だなと、自分の目的を第一にこなそうと思い返されます。

9月3日の日記

風邪で会社を休む。

コロナかコロナじゃないのかわからないまま、コロナだとしても小さい会社なのでお金を把握して動かせるのと日々の業者さんや士業さんへの対応ができるが僕だけなので、黙っておくしかないのか・・・とか、人にうつしていたら・・・とか、から始まり、何をしても自己否定・悲観的に考えてしまう。

こういう時に酒に逃げてはいけないような気がして、一人で思考だけでもがくにもがく。

しかし、そうしててもキリがないので、少し落ち着いた時に、ノートとペンを用意して、今の問題点、大きめのから小さいのと、自分の貸借対照表(持っている資産と負債の表)と自分の資金繰り表みたいなのを雑多に書きました。

まずコロナだった場合、仕事は人に逐一説明してお願いしてやってもらえばいい。と決めました。ご飯はデリバリーとか有り物でなんとかなるだろうと、決めて捨てておく。

孤独はどうにもならないと捨てておく。

仲のいいホステスの子が告白断っておきながら友情をぶら下げて、おそらく店に来いとラインを送ってくるので、ブロックと消去した。寂しくて行ってお金を払って少し落ち着いてはの繰り返しで嫌になっていました。

自分が8割がた悪いと思う。習い事で通っている教室の人も言っているので、良い笑いものにされているかもしれない。しかしどうにもならないので悩むのを捨てておくことにした。

あと、仕事関連は人と接しないよう遅くに出て一人でやることとしました。

前提としてコロナの基準は満たしていないのですが、極力人と触れ合わないよう、仕事の段取りをあらかじめしておいて、会社ではそれをやるだけにしておくと上司に報告しておいた。

これで段取りはとりあえずつけたので、休むこととします。