体調不良で会社を休む罪悪感の裏

さすがに熱やらだるさやら続いて、昨日は会社が休みだったんですが引き続いて休ませてもらうことにしました。

会社を休むとなると、結構罪悪感があります。

そこから自分の思考の癖を考えますと、それは表面上は、仕事が進められないとか、上司は出勤してるのにとかもっともらしいことを思っていますが、実際は「仕事休むのに罪悪感を感じるほど頑張っている自分」を自分が分かってほしいからだと思います。

思えば小さい頃から、ある程度どなたでも、教師や親御さんから「自分から手を上げて答えを発言しろ」とか、積極的に真面目にを強制されていたのではないでしょうか、

少なくとも私はそうで、斜に構えていうならば、そういう人たちの都合のいい自分を演じ続けていく内に価値観が内在化されて、それから「この価値観を持っている自分は正しい、そうじゃない人は間違っている」と、イヤイヤ強制的に演じてさせられていた自分に当てはめていく内に、「僕はこんなに我慢しているんだ、わかってよ」とは人に言えず「僕が我慢しているのは正しい」とひんまがってしまったのでしょう。

これを書いていて思い出したのが、小学校卒業の時、教師に寄せ書きを書くことになったのですが、多くの人が色ペンで派手に書いているところ、僕は黒いボールペンで「おかげさまで志望校に入れました」とだけ書いたことです。

体調不調で休む休まないは別の話で、頑張りたくないけど、頑張るで今まで自分を無理やり支えて自己イメージを作ってたんだなと思うと、支えが重しにもなってたんだなと、ちょっと生き方や姿勢を調整した方がいいような気がします。

9月2日の日記

起きました。

家事をこなす。すぐにやることがなくなる。

体調が辛いので病院へ行こうとしたが、午後の開始まで街中で待つ間、ベンチも灰皿もどんどん撤去されていて、居場所がない。

やっと徘徊して時間を潰して診察を受ける。

帰って飯を作って掃除やお金のことをまとめる。

ブックオフの回収の方が来たので、持って行ってもらう。これで買い取ってもらえるとは便利になったなと思う。

正直なところ、体は辛いが、それを認識してくれる他人様がいないのも甘えですが辛いです。

多分こんな日は気分がさくさくしてろくなことを考えないので、早く寝ることとします。

9月1日の日記

朝起きると、少し涼しくて気持ちいい。

仕事用のTODOリストを見ると、あらかたイレギュラーなモノは済んで、ルーチンワークの作業もさきにこなしたので、「冷蔵庫に来客用のお茶ペットボトルを入れる」と「新しいお茶を注文する」しかなかった。

なので、さっさと済ませる。

正直、こんな時は休みを取りたいし、暇な月初は休んでもいいと言われているが、家で一人でいてもろくなことを考えないので、ずるずると会社に来てしまう。

弁当を買いに行くと、仕事も家事もどんどん溜まっていたことが済んできたスッキリ感から、いつもなら買わない弁当を買って食べました。

と、ここで、いつもごまかしている疲れなどが表面化してくる。

とりあえず、その旨伝えると、帰ることと体調が変わったらすぐに連絡するようにと言われ、ずいぶん久しぶりの半ドンになりました。

帰宅する前に、食材を買う。

疲れた体に思うのは、仕事か家事、どちらか自分で生活できなくなったら・・・人生そんなものかといういつもの自虐的な自慰的な思考だ。

本当は子供のままが良かったなーと本心では思っているが、それはそれでアリにしながら、とりあえず買い出しを済ませる。

家に帰ると、明日の燃えるゴミをまとめたり、細かいことをして、作り置きにしている冷やしおでんを新しく仕込んだ。

一段落したので、少し寝ることとして目覚ましをかけて昼寝。

起きて、今これを書いています。

そういえば、昨日瓶を捨てる時、タバスコの瓶のシール取れないなと思ってましたが、しばらく水につけていたらきれいにはがれることを発見しました。