9月5日の日記

起きたけど、土曜日だから二度寝しようと再び寝る。

結局出勤するための時間には起きて、会社に行く。

休みの日に一人でいても少し食器を整理したり、書類を見たり、大してやることがない。

しかし家に帰っても暇なので、行ける場所を書きだすと、個室ビデオかパチンコ屋かカラオケ屋。

結局パチ屋へ行ったがスグする。

仕方がないから、食材を買って、帰って作り置き。

六時から少し用事が入るので、空いた時間で今日も個人のお金の表を書く。昨日とほぼ変化なし。

正直、部屋の中を見渡しても使ってないモノばかりだ。

しばらく使ってないモノで必要のないモノは捨てると漠然と決めてみました。

学生の頃は自分の部屋の足の踏み場がなく、足を変にくねらせて寝床まで行ってましたが、今は床でゴロゴロできる程度にはスカスカだ。

六時になりZOOMで打ち合わせ。30分くらいで済む。

晩御飯も食べてまた暇になる。

そうだ、焼酎の見ながら、マンションを買う資金計画を練るごっこでもして、大好きなガケッぱちか内村さまぁ~ずでも見よう。

9月4日の日記

風邪の調子は何とかごまかせそうだ。起きて会社へ行く前に携帯電話の機種変をする。

色々追加サービスの契約を盛り込まないか聞かれるが、相対するお店の方も上からの指示だろうから、手短にお断りだけした。

会社に行くと、さっさと済まそうとしたけど郵便物やら書類の処理やら雑事が一日で貯まっていました。

面倒くさいと思うよりやった方が早いので、体だけ動かしてすぐ済ます。

同時に携帯は初期設定やアプリのダウンロードなどをやる。

必要のないアプリもあって消すけど、これをプリインストールすることで誰かがご飯を食べられているんだとしたら、こちらの多少の手間は仕方ないと思う。

必要なことをこなして仕事を取りあえず済ます。

帰宅途中、家に帰りたくなったので、遠回りして帰宅。

家計簿つけたり細かいことをする。

一通り要らないものを捨ててしまったので、やる家事が減りました。

とりあえず、明日は洗濯機回してから少し出勤しよう。

うなされていると

うなされていると自分が過去と現在進行形でしている悪い事ばかり思い出します。

あの時ひどいことをしてしまった、とか、怒りに狂っていたことばかりで、しかし、それが過去にいじめやらからの学習みたいなもので、止まらない流れの様です。

しかし、最近は年のせいもありますが、怒っても立ち止まれる場合もあるようになってきました。

第一、怒るのも基本的は内部的なもので、何かを見てはイライラするの連続です。

若い人の声を聴くだけで体も怯えますし、パチンコに行くと、おしゃれとヤンキーの間くらいの人たちがアニメの台を打っていると、全然その方と関連性はないのはわかっていても「吐いたつば飲むなよ。アニメはキモいんだろ。」とか思ってしまいます。

他にも僕が十代の頃はパソコンを持っているというのが嘲笑の対象でもありました(無論、その個人個人で違うでしょうが)。

でも今、小さなパソコンみたいなスマホを四六時中見ている方ばかりで、スマホを見て前を見てない人を避けても少し避けきれなかったら、睨み付けられることもあり、苦虫を噛み潰したような気持ちになることもあります。

しかし、そんな時に思い浮かぶのが、とある街で朝からずっと不平不満を毎日叫んでいた人です。

自分もあんまりそんな考えばかりだといつかあの時のあの人のようになってしまうことを考えると、グッとこらえるのが修養の第一歩だなと、自分の目的を第一にこなそうと思い返されます。

9月3日の日記

風邪で会社を休む。

コロナかコロナじゃないのかわからないまま、コロナだとしても小さい会社なのでお金を把握して動かせるのと日々の業者さんや士業さんへの対応ができるが僕だけなので、黙っておくしかないのか・・・とか、人にうつしていたら・・・とか、から始まり、何をしても自己否定・悲観的に考えてしまう。

こういう時に酒に逃げてはいけないような気がして、一人で思考だけでもがくにもがく。

しかし、そうしててもキリがないので、少し落ち着いた時に、ノートとペンを用意して、今の問題点、大きめのから小さいのと、自分の貸借対照表(持っている資産と負債の表)と自分の資金繰り表みたいなのを雑多に書きました。

まずコロナだった場合、仕事は人に逐一説明してお願いしてやってもらえばいい。と決めました。ご飯はデリバリーとか有り物でなんとかなるだろうと、決めて捨てておく。

孤独はどうにもならないと捨てておく。

仲のいいホステスの子が告白断っておきながら友情をぶら下げて、おそらく店に来いとラインを送ってくるので、ブロックと消去した。寂しくて行ってお金を払って少し落ち着いてはの繰り返しで嫌になっていました。

自分が8割がた悪いと思う。習い事で通っている教室の人も言っているので、良い笑いものにされているかもしれない。しかしどうにもならないので悩むのを捨てておくことにした。

あと、仕事関連は人と接しないよう遅くに出て一人でやることとしました。

前提としてコロナの基準は満たしていないのですが、極力人と触れ合わないよう、仕事の段取りをあらかじめしておいて、会社ではそれをやるだけにしておくと上司に報告しておいた。

これで段取りはとりあえずつけたので、休むこととします。

体調不良で会社を休む罪悪感の裏

さすがに熱やらだるさやら続いて、昨日は会社が休みだったんですが引き続いて休ませてもらうことにしました。

会社を休むとなると、結構罪悪感があります。

そこから自分の思考の癖を考えますと、それは表面上は、仕事が進められないとか、上司は出勤してるのにとかもっともらしいことを思っていますが、実際は「仕事休むのに罪悪感を感じるほど頑張っている自分」を自分が分かってほしいからだと思います。

思えば小さい頃から、ある程度どなたでも、教師や親御さんから「自分から手を上げて答えを発言しろ」とか、積極的に真面目にを強制されていたのではないでしょうか、

少なくとも私はそうで、斜に構えていうならば、そういう人たちの都合のいい自分を演じ続けていく内に価値観が内在化されて、それから「この価値観を持っている自分は正しい、そうじゃない人は間違っている」と、イヤイヤ強制的に演じてさせられていた自分に当てはめていく内に、「僕はこんなに我慢しているんだ、わかってよ」とは人に言えず「僕が我慢しているのは正しい」とひんまがってしまったのでしょう。

これを書いていて思い出したのが、小学校卒業の時、教師に寄せ書きを書くことになったのですが、多くの人が色ペンで派手に書いているところ、僕は黒いボールペンで「おかげさまで志望校に入れました」とだけ書いたことです。

体調不調で休む休まないは別の話で、頑張りたくないけど、頑張るで今まで自分を無理やり支えて自己イメージを作ってたんだなと思うと、支えが重しにもなってたんだなと、ちょっと生き方や姿勢を調整した方がいいような気がします。

9月2日の日記

起きました。

家事をこなす。すぐにやることがなくなる。

体調が辛いので病院へ行こうとしたが、午後の開始まで街中で待つ間、ベンチも灰皿もどんどん撤去されていて、居場所がない。

やっと徘徊して時間を潰して診察を受ける。

帰って飯を作って掃除やお金のことをまとめる。

ブックオフの回収の方が来たので、持って行ってもらう。これで買い取ってもらえるとは便利になったなと思う。

正直なところ、体は辛いが、それを認識してくれる他人様がいないのも甘えですが辛いです。

多分こんな日は気分がさくさくしてろくなことを考えないので、早く寝ることとします。

9月1日の日記

朝起きると、少し涼しくて気持ちいい。

仕事用のTODOリストを見ると、あらかたイレギュラーなモノは済んで、ルーチンワークの作業もさきにこなしたので、「冷蔵庫に来客用のお茶ペットボトルを入れる」と「新しいお茶を注文する」しかなかった。

なので、さっさと済ませる。

正直、こんな時は休みを取りたいし、暇な月初は休んでもいいと言われているが、家で一人でいてもろくなことを考えないので、ずるずると会社に来てしまう。

弁当を買いに行くと、仕事も家事もどんどん溜まっていたことが済んできたスッキリ感から、いつもなら買わない弁当を買って食べました。

と、ここで、いつもごまかしている疲れなどが表面化してくる。

とりあえず、その旨伝えると、帰ることと体調が変わったらすぐに連絡するようにと言われ、ずいぶん久しぶりの半ドンになりました。

帰宅する前に、食材を買う。

疲れた体に思うのは、仕事か家事、どちらか自分で生活できなくなったら・・・人生そんなものかといういつもの自虐的な自慰的な思考だ。

本当は子供のままが良かったなーと本心では思っているが、それはそれでアリにしながら、とりあえず買い出しを済ませる。

家に帰ると、明日の燃えるゴミをまとめたり、細かいことをして、作り置きにしている冷やしおでんを新しく仕込んだ。

一段落したので、少し寝ることとして目覚ましをかけて昼寝。

起きて、今これを書いています。

そういえば、昨日瓶を捨てる時、タバスコの瓶のシール取れないなと思ってましたが、しばらく水につけていたらきれいにはがれることを発見しました。